外の世界と内の世界

人は好きなものを収集したり分類したりするのが好きだ。収集してるものについては全部揃わなければ気が済まない。彼は何を収集したり関心を持ったり分類してるのかといえば、結局は自分の内側の世界をいかに正しく表現できるかということを試行錯誤してるのだと思う。僕についてはそれは本だ。朝エンジンが入る前の時間を、布団から起き上がってしばらく自分の本棚をじーっと見て、こちらの本から読むべきか、いやこっちか、ではその次は、なんてことを繰り返し繰り返し考えている。読むべき本のリストを何度も作り変えては、何年も前のリストを見て、あの頃自分はこんな価値のないものに夢中になってたのか、と驚くことも多い。何に驚いているかというと、そのリストは客観的なものではなく、けっきょくあの頃の自分の頭の中を表現したものだと改めて気づかされるのだ。意識としては自分の頭の中を表現するという感じはない、精一杯客観的に価値のあるものを並べているようにみえても、時間が経ってみればそうではないことに気づかされる。これは、「自分」(A)と思っているものを見ている「自分」(B)がいて、時間が経った時に、そういうリストを見て、これは当時のBの自画像みたいなものだと思うのだ。普段我々はAを自分だと思っているが、時間が経った時に自分というものはもう少し広くてBまで含んでいると思うのだ。心理学ではAをego、Bをselfと言うんだと思う。

そのように自己表現ではないと思っていても後から考えたら自己表現だったというものとしては、スポーツの試合結果を数字化したものもあれば、自分の好きな分野で活躍している人名だったりすることもあろう。学問の内容については、より複雑かつ高度でメタレベルの高いものが好まれることが多く、それも後から考えれば自己表現に他ならないと気づくことが多いはずだ。複雑な学問体系があったとして、もしそれが人にとって理解不可能なほど複雑なものだったら、それはそもそも体系として認識され難いはずだ。何となれば、体系とは、結局自己表現であり、自分の内部をより精密に表現したものに人は愛着を持つのであり、もしそれが人のレベルを超えていればそれだけで人はそれに乾いた視線を向け始めるだろう。その良い例が、チェス、囲碁、将棋のコンピュータ化だ。コンピュータソフトは人間の実力の届かないところまで進化するのかどうか、ということが、たとえば将棋ではホットなテーマになっている。もうトップ棋士が負けたりするレベルまでソフトは進化しているが、このまま人間はどうあがえいてもソフトに勝てないというところまで進化するのかどうか、ということはまだ結論が出ていないと思う。もしそうなった場合、そういう手はあまり将棋マニアの心の中に簡単に収まらないものとして乾いた目を向けられることになると思う。ちょうど、人が100mを10秒切って走ることに人は昂奮するが、車がそれ以上で日常生活の中で走っていても、別に人は感動もしない。別種だと思っている。そんなようなもので、人が何かした、ということは、人の内面を直接揺さぶるのだ。なぜならそれは自己表現の一種だからだ。車が走るのはそうではない。同じように、人の理解を絶する複雑で大量のデータを使う体系というものは、人に愛着を持たれることはない。それをコレクションする人間もいないだろう。
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on death

on death
人は必ず死ぬということは証明されていない。ただ、今まで一定年齢以上(たとえば1000歳)を超えて生きている人が一人も知られていないから、仮にこの命題は真であろう、と仮定しているだけだ。このての命題はたった一つの反例があるだけで否定される。
 理論的にはそういうことだと思う。
 では、現実的にはどうだろうと考えてみると、人は年取っていくと体の機能が衰えていく。これは死ぬ前の現実としてある。そうでない個人もある、という反例があればまたそれは考えれば良いが、現実として、僕が、死ぬかどうかは分らないが、とにかく衰えていっているということがある。そうすると、若い頃もっと丈夫だった時には平気なハプニングや過酷な環境に耐えられていたのに今はそれに耐えられない、ということが言える。つまり自分にとって致命的な害をもたらす要素がどんどん増えていくということだ。そんな致命的な害は若い頃だったら数年に一度しか来なかった。そのうち1年に1度来る。半年に1度来る。月に1度、避ける努力をしなければ毎日のように来る。そんなふうになっていく。
 ところで人は必ず間違いを犯す。これだってやはり証明された命題ではない。死の命題と同様だ。しかし現実に、100回とも正解だった人が、次の1000回の間には間違いを犯すかもしれない。それがクリアできても次の1万回には・・・。という具合に、人はいつ間違いを犯してもおかしくない。そしてその間違いというのは、齢とるごとに増える危害の可能性を今日も避け明日も避けたが明後日は分らない。そしてたまには失敗する。そしたらそこで人は死ぬ。
その死を事後的に考えれば、「あの誤りは避けることが充分できた」となる。つまりその人が死ぬことは必然ではなく偶然だった、となる。だから彼の死は、人が必ず死ぬことの証明にはならない。避けることが充分できた誤りのために死んだだけだ、と。しかし人はやはりいつか必ず間違える。「間違いを犯さない限り死なない」という条件下では、人は理論的には不死の可能性があっても、現実的にはそうやって死んでいくのだ。そして個々別々の死は偶然のもの、避けることができたものとしてとらえられる。そしてそうやって人の死はやはり訪れる。そして自分が間違えなくても、向こうの間違いで暴力的に死をもたらされることもあるのだ。キリストやソクラテスがそうだったように。

額縁

正月に来る人たちの歓迎の意を込めて壁の見えるところに、しかしそれほど目立たないところにさりげなく、写真を吊り下げた
その作業をしやすいように、前から取り付けてあった額縁をはずすと、陰になっていたところにほこりがたまっていたので拭いた
その横にメインの、もっと大きな額縁があった
年末大掃除のつもりでそれも取り外して裏側を拭くか、どうせ汚れているはずだし
しかし大きめの額縁は外すのもひと仕事だし、こんな作業は今予定していたことではなかった
迷った挙句、まあたまのことだから拭こうと思い外した
すると思いがけなく年末が来た、新しい年が来る、という感慨が訪れた
普段の年はこんなことを感じない
そうか、額縁の裏に時間の節目があるんだ
だから年末に大掃除をやるんだ
この年になって初めて気づいた
考えてみればこの額縁を外すのは6年ぶりのはずだ
その間の歴史を示すかのように綿のようなほこりがたまって服の袖を汚した
毎日毎日、目に見えないようなほこりがたまるとこんなに積もるんだ
それがこの6年だったんだ
しんとしたその気分
誰にも言わずにおく
それは日常ではないから、日常をシェアする人に言うべきことではないと思う

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ジャンル : 小説・文学

なぜ今まで・・・

なぜ今まで・・・
彼女は僕のそばにいたいと言った
それはだいぶ昔のことだったが
僕は忘れられなかった
二人の関係が少しずつ冷めていったことはよく分っていた
もう二人は特別な関係ではもはやないことは、何も言わなくても明らかだった
彼女は結婚した
僕はそれに気付かなかった
それほど疎遠になっていたんだけど
知った時はショックだった
彼女は同時に絶交宣言をした
それが半年前のこと
僕はしばらく彼女のことばかり考えていた
そのうち特別に彼女のことを考えることはなくなった
今日ふと思った
僕は彼女の名前をもとの名前で思い出していたが、結婚したのなら苗字が替わったはずだ
僕はなぜ今までそんなことに気付かなかったんだろう?
自分の迂闊さに、半年たって驚いた
なぜだろう?
しばらくすると、いや別れを告げられた当時、彼女のあらゆることに思いをはせていて、その時に当然彼女の新しい姓のことも考えていたのを、ただ今はそれを忘れただけかもしれない
あの時つけた膨大な日記を見ればそんなことも書かれているのかもしれない

僕は彼女が新しい名前すら僕に教えずに別れていったことに、怒りと、無関心と、なげやりな気持ちの混ざったものを感じたのだが
それは別れた直後に感じた多くの感情の中にも同じものがあったのかもしれない
あの頃は余りにも多くのことを考え、感じていた
その気持ちがやっと落ち着いて何ヶ月もたったから忘れただけなのかもしれない
今日の驚きは、僕は彼女のことを夢中で考えていながら、実は彼女のこんな基本的なことにも思いを馳せなかった自分の彼女に対する無関心の度合いについてであって、それは半年後何の絡脈もなく今日訪れたのは、今も心の中にある彼女にまた新たにもう一つ深いさよならを付け加えたということかもしれない

夕暮れ

夕暮れ

夕暮れを見て
この街を愛しはじめる
錯覚の中
ここはふるさとだと
感じはじめる

すれ違う人
誰も僕をよそ者だと思わない








テーマ : 心のつぶやき
ジャンル : 小説・文学

神話替え

 アメリカ先住民にはいろんな民族がいて、隣り合った民族Aと民族Bの神話がそっくり入れ替わってしまうことがあるという。それは彼らの間でだけあるのではなく、そのような現象は世界のどこにでもありえるという。
 それは僕らの身近にもあるかもしれない。僕は子供から大人になる時、まったく理解できない大人味の流行歌があった。それをどう理解できないかも今でも覚えているが、その歌は今では最も好きな歌の一つとなっている。その頃の僕が民族Aで、異質な歌を好む異質な文化を持つ大人を民族Bとたとえると、民族Aが民族Bの神話を受け入れたのと同じ現象が起ったと言えるのではないか。

結婚と恋愛

one bird
僕がいつまでも結婚しないのは
いつまでも女性を好きでいたいから
だから女性との付き合いは長続きしたことがない

たとえば大学で、一人の女の子と付き合うとする
付き合う・・・このマジックワード
僕はどこにでもいられるはずなのに、そのことで僕の百の可能性は一に限定される
広々としたキャンパスのどこにでもいられるのに、一つの風景に閉じ込められる意味は何だろう?
それが人を好きになることと何の関係があるんだろう?

僕はその場を愛してたんだろう
それで僕の居場所がなくなっても、一つに限定されるよりは良いような気がする
一人の誰かを好きになることが、他の誰かと距離をとることになるということに僕は今だに納得できたためしがない
そのために僕がいつまでも居場所を見つけられないなら、そのほうがまだいい

女の子の薬指を見て、
「結婚してるんだ」
「うん。ごめんね」
ごめんね、って何だろう?
おそらく結婚は、死に似てるんだと思う
覚悟が要り、それまでできたことと永遠にお別れする決意をしなければならない
生きていたいと思うことは、罪なことだろうか?変なことだろうか?
いつまでもさすらい、野垂れ死にすることを選ぶことは、変なことだろうか?
それだって別の死に方をする決意だ
恋って素敵なことなのに、これからは二度と他の誰かに恋しないという決意のほうが僕には不思議に思える
精神の健康に悪影響を与えそうだ

テーマ : 自作詩
ジャンル : 小説・文学

キリスト教観

僕からみると欧米のキリスト教社会では神がいることを前提にした話が多い。

人生で辛い目にあった時、もし神がいるならどうして僕を見捨てたままにしておくのか?とか

しかしこういう発想はキリスト者ではない我々もする

まったく同じように神という言葉を使うかも知れず、代わりに仏という言葉を使うかも知れず、あるいは天という言葉を使うかもしれない

しかし同じような内容を考えても、我々は、その神なり天なりは、仮にそう言っておくという感じが強い。

神などいないかも知れない、と思っているが、しかしとにかくそういうものがいることにしたほうが話しがしやすい。

ちょうど英語で何か主語が要る時に、it rains とか it is nice here  みたいに形式的にitを主語に立てるみたいな

しかし欧米では、それが単なる形式主語ではなく、神が実在するものとして語られる

歴史的経緯からみれば、それが彼らの宗教的伝統ということもあろう

しかし経緯は度外視して今の状態だけ見れば、彼らは形式的に仮のものをあまりにもリアルに考えすぎ、という感じがする

ただの比喩なのにそれを比喩ではなく本気で受け止めるみたいな


God helps those who

God helps those who help themselvesという言葉があり、なんだか聖書に出てくる天の言葉っぽい貫禄があるが出典はスマイルズの19世紀のベストセラー「自助論」。

天は自ら助くる者を助く

ここでは神も天も一緒だ。スマイルズの原文でGodとなっているものを、和訳する時は天とすることが多い。

しかし人が言った言葉だ。


なぜこの人が言った言葉があたかも神の言葉天の言葉として我々の上に降り注ぐ権利を持つのかということは考えてみればいろんな洞察ができそうだ。

一つは、神との取引としての努力を否定しているということだ。

これだけ努力したのだから結果を下さい、というのでは、努力は神との取引として行なったことになるが、本当の努力は結果を出そうとしてするもので、そこにだけ結果は伴う。

同じ意味を持つ東洋の言葉として、人事を尽くして天命を待つ、があろう。

人事を尽くすというのは結果を出そうとしてベストを尽くすこと。

その後で天命をただ待つ。

ここにも天と取引をするというニュアンスを否定している。

どんなジャッジが下っても文句は言わない、というニュアンスがある。

両方の言葉に共通するものをむき出しに表現すれば、神との取引の道具として努力をするな、結果のために努力せよ、ということになろう。

お前

俺なんて 俺の思うことなんて

俺にだって値打ちない

そんな俺の言葉を 本気で受け止めて

喜んでくれるのか

風に舞い どこかに吹かれ飛んで

どこに行ったかわからない

俺の気持ちを 

ここに留める気なのか

角を曲がるだけで

人ごみにはぐれて 

二度と会えないはずなのに

叫んだって 

聞こえないはずなのに


プロフィール

quaintessence

Author:quaintessence
find myself most like me when I express what is in my mind
am aware myself most self-realizing when I stay all by myself for long and see what is in me

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